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していた様子はない(トカラには仏寺はあるが)。すると、この地域一帯は仏教世界の境界外と見做すことができる。玄奘はバルフに入って再び仏教の聖域に戻るわけだが、この俗と聖を分かつ土地にある納縛僧伽藍の守護神・毘沙門天は、その意味ではサイノ神なのである。ゆえに、この昆沙門天像は仏敵である突厥の侵入を阻止する役割が与えられ、その役割がものの見事に機能し、毘沙門天の武神的財宝神的特徴が高揚していったと思われる。その特徴がさらに東満していくと、安西城昆沙門説話に見られるように仁王経という護国教典と結びつき昆沙門天が国家鎮護の守護神として発展していくが、その過程は今後の連載で追ってみよう。とにかく、独尊・毘沙門天の根源的イメージはサイノ神であることには変わりない。

 

◎力ーピシーの大神王像◎

バルフを出た玄奘は、バーミヤン(梵桁那国)で今も残る有名な大仏を見学した後、カーピシー(迦畢試国)に入った。この国の大都城(ベグラム)の東方の北山山麓には、ガンダーラのカニシュカ王が得た人質を住まわせた質子伽藍があり、伽藍の仏院の東門の南に大神王像が安置されていた。この神王像の足の下には人質が蔵(おさ)めた珍宝があり、昔の強欲な王がまさにこの宝を奪おうと発掘に徒事したところ、神王の冠についている鸚鵡の鳥像が羽をバタバタさせて鳴きだし、そのため大地が震動した。王と軍人はしばらく倒れ伏した後、咎を謝罪して帰っていった。

 

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?山西省雲岡石窟第八窟守門神門
?河南省霊泉寺大住聖窟迦毘羅神王像

 

 

 

 

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